2009年12月09日
虚子・柏翠・愛子
龍翔館の3階には、三国と近代文学という
フロアがあります。三好達治、高見順などの
コーナーに連なり、俳句に関係した三人の写真が
並びます。
野菊むら東尋坊に咲きみだれ 虚子
日本海秋潮となる頃淋し 柏翠
雪國の深き庇(かばい)や寝待月 愛子
フロアがあります。三好達治、高見順などの
コーナーに連なり、俳句に関係した三人の写真が
並びます。
森田愛子さんは、
大正6年(1917年)、
旧三国町の豪商、
森田三郎右衛門の
娘として生まれ
三国高等女学校を卒業後、
東京の女子大へ進学。
大正6年(1917年)、
旧三国町の豪商、
森田三郎右衛門の
娘として生まれ
三国高等女学校を卒業後、
東京の女子大へ進学。
生まれつき病弱であったので、療養のため
鎌倉で過ごすことになります。そこで
若き柏翠先生と出会い、またその師である
高浜虚子とも交友をもつことで、
本格的に俳句を詠むようになります。
三国に戻り療養を続けた愛子さんは、母と、
疎開してきた柏翠先生と三人で生活を送ります。
生きることへの執念と生まれ故郷、三国への愛情を
俳句に詠みますが、結核のため、29歳の若さで
その生涯を閉じます。
伊藤拍翠先生と、森田愛子さんのお墓は、
月窓寺という三国町内のお寺に並んであります。
花を供え、ロウソクを灯し、お線香を・・・。
お水もたくさんおかけしてきました。
その後訪れた東尋坊には、三人の句碑が、
日本海の風を受け、建っていました。
鎌倉で過ごすことになります。そこで
若き柏翠先生と出会い、またその師である
高浜虚子とも交友をもつことで、
本格的に俳句を詠むようになります。
三国に戻り療養を続けた愛子さんは、母と、
疎開してきた柏翠先生と三人で生活を送ります。
生きることへの執念と生まれ故郷、三国への愛情を
俳句に詠みますが、結核のため、29歳の若さで
その生涯を閉じます。
高浜虚子の小説 『 虹 』は、
三国を訪れた時の実話。
愛子さんは、美しきヒロインとして
登場しています。
三国を訪れた時の実話。
愛子さんは、美しきヒロインとして
登場しています。
伊藤柏翠先生は、
私の俳句の先生の師。
1999年に亡くなられた。
残念ながら、生前に
お会いしていません。
私の俳句の先生の師。
1999年に亡くなられた。
残念ながら、生前に
お会いしていません。
伊藤拍翠先生と、森田愛子さんのお墓は、
月窓寺という三国町内のお寺に並んであります。
花を供え、ロウソクを灯し、お線香を・・・。
お水もたくさんおかけしてきました。
その後訪れた東尋坊には、三人の句碑が、
日本海の風を受け、建っていました。
野菊むら東尋坊に咲きみだれ 虚子
日本海秋潮となる頃淋し 柏翠
雪國の深き庇(かばい)や寝待月 愛子
Posted by 森のブリコ at21:27